フィンランドの保健当局が実施した調査があります。
食事の指導や健康管理の効果を科学的に調べようと、1200人の人を選んで15年間の経
過を調べたのです。40歳から45歳の管理職を約600人選び、定期検診、栄養学的な調査
を受けてもらい、毎日の運動、タバコ、アルコール、砂糖の摂取を抑えるなどの健康管理をし
てもらう。他方、同じ職業分野の600人を選び、このグループには従来通りの生活を維持して
もらい、特別な健康のための行動をするようにはかかわりません。
この二つのグループの比較をしました。その結果、はっきりした違いが現れました。
心臓血管系の病気、高血圧、死亡、自殺、精神疾患などいずれも現代の疾病は、健康管理を
したグループにむしろ顕著に現れたのです。これを紹介した本『安らかな死のための宣言』
〔R・ジャカール、M・テヴォス共著〉は『治療上の過保護と生体の他律的な管理は、健康を
守ることにはならず、逆に、依存、免疫不全、抵抗カの低下、要するに不健全な状態をもたら
す』と指摘しています。
つまり、自分で納得して行動するのではなく、他律的に言われるままに行動しても、言い換
えれば、白分の現実を無視して観念に縛られて行動しても、害にこそなれ、白分の健康には決
して役立たないことを示しているのです。先に述べてきた私の考え方、口腔局所だけ診た歯科
保健管理、食後直ちに三回の歯みがき行為は危険であったのです。
このことは、『節制』と『制限」という言葉の違いを知ることにもつながります。
江戸時代の儒学者、貝原益軒はその「養生訓」で、日常の生活について、早寝早起き、腹八
分目の食事、適量の酒、節度ある性生活など具体的に述べていますが、あくまでもその内容は、
個人の心のもち方で行われるものだと言っています。つまり『節制』ということで、これは
分の身体の状態との対話が必要とされ、自分を知ること、わかることを意味します。
ところがプレスローは、『十分な睡眠、必ず朝食はとること、間食はしない、規則的な運動
はすること、禁酒、禁煙などは健康を維持するためには守ること』と「制限」しているのです。
この「制限」さえ守れば健康になりますよと言っているのです。ですから、そこには自分の身
体との対話はしなくても、この七つの行動さえ守ればいいというのです。そこに、落とし穴が
あると思うのです。これが現代医学の健康観です。
確かに健康になるためには、禁煙するとか適度な運動といった個々の客観的事実が明らかに
されることは大切ですが、その事実を自分の生活の中でどう展開していくかは、それぞれの人
によって異なるはずです。それが『節制』なのです。こうあるべきだと縛られるのではなく、
自分のこころやからだと対話しながら、自分らしくより自分を成長させていくことなのです。
歯を磨くことにしても、『一日三回、食後すぐ磨く』ことが大切なのではなく、自分が理解
した上で、一回がいいのか、二回、あるいは三回にするのか、決めていくことが「節制」なの
です。自分を無視して、科学的にいいといわれているから『一日三回、食後すぐ歯を磨く』の
では「制限」でしかなく、自分の健康にとっては、決してプラスにはならないのです。。
自分自身を単に反応する機械のように扱ってしまうことになります。人間には『いのち』が
あって、それが刻々と新しいこころやからだを創造しているところに真実があるという人間観
ができてこないと、自分を管理するほど不健康になるのは当然です。
歯の表面では、酸による歯質の溶解と再石灰化が、たえず繰り返されているのです。しかし、
こうした酸の侵襲を受けるたぴに歯質は丈夫になり、次にくる酸のアタック〈侵害〉に抵抗を
もつことが、最近の研究で明らかにされてきています。ですから、酸を悪者ときめつけて口の
中に酸をださせないことは、かえって不自然な考え方になるのです。人間の口も身体も心も生
きているのです。その生きている真実を忘れて、あさはかな知識に縛られた専門家の考え方は
ど、危険なことはありません。どうか目を開いて、真実の姿をわかってください。食べて直ち
に歯を磨き、酸を流してしまっては、歯の抵抗力は育ちません。
確かに、虫歯も歯周疾患もロの中に生息している常在菌によって引き起こされます。しかし、
それはあくまで先程述べた日和見感染であり、人間が普通の生理状態を保つて環境に適応して
いる限り、菌は何の問題も起こさないのです。環境の変化や精神的な変化で、人間に何らかの
生理的な適応能力の異常が起こると、菌との共存関係が崩れて菌に感染するのです。つまり宿
主である人間に何らかの変化があると、この共存関係が崩れます。

アドア出版
「はみがき病」医科歯科大学予防歯科、志村助教授著より